Voice 10:盗難にあったお話。- ステレオタイプを考える(Nozomi)

マラウイに到着して、「マラウィ=平和な国」という意識があった私。マラウィが平和だろうが何だろうが、私自身はだいぶ平和ボケしています。鍵を外につけっぱで寝て、盗られるという…。まさか盗難に合うとは…という感じでした。(というか、入ってこられて刺されなくてよかった)私たちのアコモデーションだけでなく、周辺地域の先生やスタッフ、生徒たちのアコモデーションでも同日被害に遭いました。
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【難民はカレッジに立ち入るべきではない】
私の勤務するカレッジの付近には難民キャンプがあるのが特徴です。カナダやアメリカに渡航が決まった難民たちへのオリエンテーションなどを行う際、うちのカレッジの空き教室を一週間程度使用することがあります。
この盗難のあった次の日に生徒たちと会話していると「カレッジは難民の出入り禁止にするべきだと思う」という言葉が。また、提出するエッセイのテーマのトピックをこの盗難事件にフォーカスし、難民キャンプがあることを考察に入れている生徒も一部いました。難民キャンプがあるから、セキュリティを強化しないといけないという言葉を発したスタッフがいたのも少しびっくりしました。
こういったい“犯人=難民”という公式が一部の人たちの中には出来上がっていました。
そもそも、うちのカレッジはプログラムや学校のコンセプト上いろいろと規制が厳しいので生徒を難民キャンプ内のマーケットで見かけることはほとんどありません。難民の人たちとの交流は皆無に等しい彼ら。
そんな彼らは難民のことを知っているのだろうかと疑問に思い質問することに。
「難民の友人はいるの?」と発言をした一部の生徒に尋ねたところ、答えは「No」。完璧にステレオタイプからくる発言や考えでした。

そして、その数日後、犯人が再犯し、仲良しのご近所さんが捕まえたのですが、彼はマラウィ人で、しかも学校関係者でした。

【難民=危険?難民=かわいそう?】
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ザレカにある難民キャンプは独特なコミュニティを形成しています。ザレカの難民に対する規制が緩いみたいで、商売や農業を難民たちは結構自由に行っています。マラウィ人の友人曰く、マーケットの価格は周辺地域に比べると少し高めで、地元のマラウィ人たちはそこで価格競争しなければいけないのであまり好ましくないとのこと。(私はアズングプライス※だからあんまし関係ないけどね)地域としては表層的には仲良くしていますが、商売がらみで難民と地元人のトラブルが発生するのをたまに見かけます。
ザレカで生活し、一部の難民と友人として仲良くなり、本音を聞くと、私の難民へ対するステレオタイプはだいぶ打ち崩されました。彼らはたくましいです。本当に。彼らが話す現実はメディアに出ていない情報だったり、ここには書けない彼らの本音を色々教えてもらっています。そんな本音になるのは、不平等な格差世界が生み出してる感情だし、「あるもの利用して何が悪い!」って考えになるもの私は納得できます。私たちの快適な生活は世界のどこかの誰かの犠牲によって成り立っていることを忘れてはいけない気がします。

※アズングプライス:「外国人=お金がある」と思われ外国人に対して少し高めに設定した外国人用の価格

【キーワードはステレオタイプ】
「日本人だから」「マラウイ人だから」「難民だから」「アフリカだから」…日本以外の国で生活をしていて思うことは、ステレオタイプって常に付きまとうという事。メディアの話や広告から来たイメージだったり、経験や噂から来たり…それは彼らも一緒です。
そのステレオタイプは正しい事もあれば、間違っていることもあります。すべてを鵜呑みにせずに自分の目で見て確かめること、実際に話を聞いてみること。これってすごく大事だと思います。
ただ、同時に彼らも私たちに対してステレオタイプを持っているという事。私も特にアズング(白人、外国人)という立場上、彼らの話をすべて鵜呑みにしているわけではありません。
ちょっとした言動や態度で本音は垣間見えることもありますが、人同士の交流が前提にあります。交流後にイメージが変わることはしょっちゅうあります。
このカレッジで学ぶ彼らの多くは小学校の先生を志しています。そんな彼らに対しては特に、偏見を抱いてほしくないですし、そのステレオタイプを壊す一歩は人同士の交流や実際に体験をすることが一番なのかなと感じます。お互いのステレオタイプをぬぐい取るためにも、サービス期間中のプロジェクトの一つとして、地域と交流する機会を生徒たちと一緒に作り上げること。
バストラベル期間を除くと残り約4か月間、DI※としての課題かなと感じています。

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※DI:Development instructorの略でこのプログラムの俗語

【ラベルを剥がせる能力を】
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ステレオタイプはただのラベル。そんなステレオタイプは多くはメディア等から来ているのではないかと思います。そんなステレオタイプという名のラベルに踊らされている人が多いなぁと感じるのも事実です。
たとえば、今日、英語教育に熱が入っている日本。英語を目的として学んでいる人が多いのではないでしょうか。
そもそも、英語はコミュニケーションの手段であり、根本には人同士の交流があることを忘れてはいけない気がします。
良くも悪くもラベルだけで判断しない能力やコミュニケーション能力は言語能力以上に必要な能力だと思います。
言語能力を培うことはもちろんですが、異文化背景を持った人たちとどんな風に付き合っていくか。
場所が日本であれ、台湾であれ、デンマークであれ、マラウィであれ…ステレオタイプを考えることが異文化コミュニケーションを図るためのキーワードだと勝手に感じているこの頃です。

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