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”汗を流さずには甘いものはもらえない”-Agather Limbeの想い- (プロジェクト対象者の声)

私、Agather Limbe は、1991年の10月15日にマラウイの旧都市であるZombaに生まれました。私には4人姉妹と弟がいます。

 

父は既に定年を迎えましたが以前は教師として働いていました。現在は農業を母と共に自宅で営んでいます。生活費のほとんどを農業で賄っているため、とても裕福とは言えない環境で私は育ちました。

私の学歴も、学習道具が十分ではなかったため、良いものではありません。

両親は私たち兄弟を学校に送るため農業に力を入れていましたが、農業だけで私たち全員分の学費を用意することはとても難しい環境にありました。

父の兄弟が私たちの学費をサポートしてくれてはいましたが、それでも足りず、中学4年に上がるための試験費用を支払うことが出来なかったため、私はもう一度中学3年生の授業を受けなくてはなりませんでした。その一年間は私にとって、無駄となった時間でした。

中学卒業時に受けた試験結果は私が期待していた結果には届かなかったため、私は中学4年生の学年をもう一年受けることにしました。

その翌年に受けた結果は予想以上によかったため、私は中学校を2012年に卒業することができました。

当時ラジオや新聞から学費が高くない大学を探し、入学志望書を提出したものの、選ばれることはなく、その後5年間大学に行くことが出来ずにいました。

マラウイには沢山の大学がありますが、どの学校も学費が高く、両親にはとても払えるものではありませんでした。

昨年、2017年にDAPP Teacher training college(現在私が通っている教員養成学校)が女生徒の募集を行っているということを知り、応募をしました。
“1学期(3カ月)当たりの学費、K120,000(約1万7千円)をどうやって払うか”

 

面接を受けている間、私は常に学費に対して自問自答をせざる得ませんでした。

 

合格通知が届いた後も、ずっと学費の事が頭から離れませんでした。

入学を取り消すべきかと考えたこともありました。

考え、悩んでいる間も時は経ち、2018年の2月6日に学校がついに始まりました。

 

両親がなんとか3カ月分の学費を用意してくれたため、無事に入学をし、授業を受けることが出来ました。

しかし、一学期が終了する前に、学校側から2学期分の学費を支払うように言われました。

支払うことが出来なかった学校にいることができず、1週間ほど自宅戻り、学費を集めなければなりませんでした。

何とか半分の金額を集め私は学校に戻り、残りの半分は3カ月後に必ず払う約束を学校側としました。

 

その時、私は初めてAyaeに自分の状況を説明しました。

 

“プロジェクトのために働いてくれるのなら、学費をサポートできるかもしれない”

と彼女は言ってくれました。

Ayaeが私に求めている事を記載する前に、皆さんに知っていただきたい事があります。

それは、彼女が学校で行った授業についてです。

彼女は“モリンガ(命の木)”について私たちに教えてくれました。

モリンガが命の木と呼ばれているのは、モリンガには喘息、マラリア熱、糖尿病、高血圧など多くの病気を治癒する効能があるからです。

Ayaeは、協働しているNozomi(Dowaの教員養成大学勤務)と共にモリンガを日本で販売することを考えていました。

私の状況を知ったAyaeが、もし私がモリンガを乾燥、粉末化させたものを用意すれば学費をサポートしてくれると持ち掛けてくれたのです。

当初、Ayaeは

 

“私は無償でお金を渡すということはしたくないけど、それでもいいの?”

と確認をしてきました。

 

彼女は私がこの提案に対して不快だと思ったのでしょう。

だから私は彼女に伝えました。

 

 

 

“汗を流さずには甘いものはもらえない”

 

と。

 

もしこの辛い状況を変えたいのなら、

 

誰かに助けてもらうのを待つのではなく、人一倍働くしかないのだと私は思います。

以上が、私が現在直面している困難であり、挑戦でもあります。

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どうか、上記の内容が皆様からサポートを受ける十分な理由でありますように。

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