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VOICE55: 日本の中小企業で右向け右ができなかった私の頭の中。(Nozomi)

【はじめに―新入社員研修の思い出】

「そんなこと言うのは大人気無いよ。」

外部新人研修に行かされて研修女性講師に言われた言葉。

新卒社員が各会社から集まり研修を受けるもので、自己啓発寄りの内容だった。

この言葉が発せられる経緯を簡単に書くと

参加者が講師と主催の代表に先輩のパワハラを参加者のみんなの前で相談
→講師と代表の答えは“周囲に相談する”もしくは“様子を見た方がよい”
→私:(え?社労士の存在や労基は教えないの?訳 解決策ではないじゃん。)
→質問の時間を待つも質問の時間は無し
→最後の感想の時間に質問、「なぜ解決策を言わないの?おかしくないか?」
→「良い雰囲気で終わろうとしているのになんでそんなこと言うの?大人気ないよ(怒)。後で話そうか」
→終了後話すと「社労士や労基は新入社員であるその子の立場が悪くならないために言わなかった」
→私(驚愕)

【社労士に相談するとどうなるかを試してみたくなって試してみた】

大学院ではなく日本の中小企業に入ったのは実際にメディアや本などで問題視されている事を自分で経験してみたかったからのも一部ある。
(壱番は恋人があった。また、3年以内の離職率30%である新卒の状況を前に就活に時間を掛けたくないからだった。新卒に時間とお金をかけているのを承知の上での行動で会社様には申し訳ないと思っていた。)
その新入社員研修という名の自己啓発セミナーが終了後のその足で会社に向かい社則を再確認。

そして、自分たちの残業時間などを月毎に計算してみる。
残業代は込みのお給料だったのでその余剰分を計算したものを、エクセルで空き時間に作り(もちろん勤務外)、社労士さんに説明。

相談したら、後日幹部に呼び出され、
「1年のうちの忙しくない時のデーターを取ると残業代上乗せの差し引きはゼロになる。」
と言われる。
先輩に頼んだり(協力はしてもらえなさそう)、労基に行けば論破できそうな気がしたのだが、デンマーク行きが決まったので労力と時間を別のことに使うことを決意。

そして、渡航1ヶ月前に辞める旨を伝える。

すると上司からは意外と見込まれてたコメントを頂き(出世できるかは別問題w)、尚且つ、寧ろ行動によって会社内での制度の見直しの声も出てきたとの事も教えてくれた。(でも出て行くので関係ない、、、)

結論→私は立場は悪くならなかった。

が、周囲はどう思ってるかはわからないし、出世に関しても謎。

さっきの例の人に関しては、別にその人が行動するかしないかは判断次第だし、パワハラを加える以外の人から好かれて、守ってもらえそうなのであれば実質的な事をやっぱり教えていいのでは?

というのが感想。

【理解に苦しんだ新人研修】

と、云うのが一連の流れだったのだが。この時の自分が思った事や感じたはとても自分の考え方や行動にとても大きな影響を与えたなと。

私も業務で研修をする事があり、研修中疑問があれば聞ける雰囲気を作る事を心掛けていた。

(わからないことをわからないままにされることの方が迷惑だし、効率が悪いと思っていた。)

そもそも疑問がある事は当たり前だと思っていたが、この研修に対して参加者が疑問を持っていないことに対して驚いた。

そして、質問の時間を設けていない講師側にも驚いてしまった。

質問の時間が無い代わりに、感想の時間に入ったのだが、講師や講師を招待した代表を神格化している様なことを発言していた者が沢山いたことに驚いた。

「良い雰囲気で終わろうとしているのになんでそんなこと言うの?大人気ないよ(怒)。後で話そうか」

“会社が研修費を払ってトレーニングをさせて頂いているんだ。疑問に対して曖昧にする方がどうかと思う”
などと噛みつこうと思えば噛みつけた。
因みに研修終了後、自己啓発ではなく、もっとプレゼンテーションなどの技術的なものがしたかったと上には伝えてしまった。

そもそも自分の頭で判断して行動ができる人材が欲しいのに与えてばかりだと本末転倒なのだが。

しかし、この一言で「個人より集団を優先させろ、集団に迷惑をかけている」という事を瞬時に全体や相手に受け取らせる事ができる言葉を発した彼女に対して感心した記憶があり、忘れられない一言である。

【「否定をするな」は正しい?―疑わない集団への恐怖と違和感】

次の年にデンマークに渡航したのだが、友人のHおじちゃんがこの記事をシェアしていた。
(「ちがう意見=敵」と思ってしまう日本人には、議論をする技術が必要だ。→こちら

同調圧力に関しては私も上の話の様に経験があり、頷けた。

でも、それ以上にこの方の書く「感情優先論」は正にその通りだと思った。

ただ、ひとつ賛成できないのは

別に日本人に限ったことではない。

ということ。

国に関してはうちの団体の南ヨーロッパ系が良い例だと思ったし、日本人でも本質を見ることができる人は沢山いる。

少なくとも継続的に仲良くさせてもらっている友人は傾向的に感情は挟まない人が多い気がする。

この「否定をするな」というフレーズ。

よく、自己啓発や本質を話さないセミナーや研修では耳にするフレーズ。
多様性の重要さを悠々と話しているのだが、参加者はこの言葉に疑問を持たないのだろうかといつも思ってしまう。

本質は色々な意見があってあたりまえであり、また、様々な意見があるからこそ、どのように伝えるかというコツをおしえるのが本質だと思う。

そうでなければ、極端な話

「戦争はどんどんして良い」

という意見に対して「OK、OK!どんどんやっちゃって」や「とてもいい意見だね!」と言わないといけなくなる。

“否定をするな”と簡単に言えるのが凄いと思ってしまう。

ただ課題から目を背ければ精神的には楽だろうが、課題はいつまででも解決しない。

更に学校が大好きな”皆違って皆良い”という言葉それを実現させるのであれば、発信側に否定をするなと押さえつける事ではない。

要は、本当に意見の多様性を考えるのであれば「否定をするな」ではないと個人的に思う。

意見のぶつかり合いや理論的な反論程解決策や新しいアイディアにつながる大事な過程だ。

単純な事で言い方で傷つく人もいるが、傷ついたらそれを伝えないと傷つけた自覚がない。

日本人は察する能力高いが、超能力者ではない。

言葉にされないとわからない。

そしてそれを聞いて、嫌だと伝えればいい。

こう思うと伝えればいい。

その伝えられた気持ちを聞いて悪いと思えば謝ればいいし、嬉しかったらありがとうと伝えたらいい。

“言わない優しさ”もあるのだろうが見方によっては自分にとっても相手にとってもいい迷惑だ。

だからこそ、感情で反対意見や批判を否定と捉える事はとても勿体ない。

そして、相手の感情を傷つけたくないのであれば、方法はいくらでもある。

質問を問いかけながら相手に考えさせるコーチングのテクニックやアンガーマネジメントの“I”メッセージのテクニックなど、議論やコミュニケーションの方法を伝えればよいのではないかと思う。

相手を思いやるという文化は素晴らしいとやはり思うし、コミュニケーションを取る際に感じる優しさで素敵だといつも思う。

思いやる文化だからこそできる、意見の伝え方があると思うし、受け取る側も本当に否定なのかどうかを感情抜きで考える能力(クリティカルシンキング)が物事の質を高めるためには必要だ。

だから、来年はここを重視したワークショップを組み立てたいと画策している今日この頃である。

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